多様性を生む、ビジネスを生む
いつものことながら、前回の投稿から日がだいぶ経ってしまいました。毎回、同じような枕で始めているような気がします。如何せん、このような経済が停滞した状況下、ひいては先日の台風19号の残した爪痕の深さからも、前のめりで発信する浮いた話、新規案件の提案など、"出しよう"がありません。我が国、日本。今後、どこへ向かっていくのでしょうか。
ただ、昨日のラグビー日本代表対スコットランド戦、非常に引き込まれるものがありました。昨今の停滞したわが国を、腹の底から鼓舞してくれる、そんな一大イベントでした。近日中に行われる決勝リーグも、当然のことながら、見逃せません。我々の活力の源泉としての選手たちの覇気、パワー。己のために、社会のために奮闘する仲間がいると感じることができることは、素晴らしいことであると思います。そして、そのような生き様をまざまざと見せつけられ、自分になにができるのか、何をしなければならないのか、真面目に自問していかねばならぬとも考える次第です。
このようなテーゼに対し、我々はどのように回答できるでしょうか。そもそも、この業界に多様性が必要か、ラグビー日本代表のように、日本という旗印のもとに集まった猛者共と比較すべきか、多様性とは一体なんぞや、というアンチテーゼもあろうかと思いますが、筆者としましては、「多様性は必要である」と強く考えています。なぜかと申せば、政府の環境対策しかり、法整備にせよ、既得権益層ならびに為政者のなかに革新的なアイデア、つまり現状を打開するような施策を明確に打ち出すことができる面々が存在するとは考えられないからです。個人的には、「"多様性"とは、当たり前のことを当たり前だと盲目的に信じない人を受け入れる素地である」と定義しています。
我が国のリサイクル、殊に金属の精錬という観点で振り返ると、当地は大陸からの技術伝承があり、当地で産出される鉱物資源をもとに、大輪の花を咲かせた時期がありました。ざっくりとした知識しか持ち合わせていませんが、"南蛮吹"という銅精錬製法が大阪に伝わった時分には、銅の品質向上だけに留まらず、「銅の精錬は大阪で」といった物流上の大きなうねりもあったと聞きます。現在の状況にも相通ずる部分もあろうかと思いますが、抜本的な構造の転換時期にあったものと考えられます。そんなとき、経済活動を活発化させていたのが、住友グループの祖、住友銅吹所であることは、歴史が物語っています。
立場上、様々な業態のスクラップ問屋さんを訪れますが、決まって言われるのは、「○○の連中は〜だ」といった文句です。具体的に申し上げると、「やり方が汚くて、付き合いたくない。ああいう奴らがいるから、この業界がダメになる」といった類の話です。そして、反対に○○の方々は、「△△の奴らは、閉鎖的で差別的だ」と不平不満をつぶやきます。要は、"人種"の違いが商売上の障壁になっているということです。(ここでいう"人種"は、いわゆる国籍上の□□人である必要はありません。それぐらい閉鎖的な方々も実際には存在し、日本のスクラップ業界の置かれていた社会的地位、土地それぞれの"歴史"のようなものが、現在も連綿と受け継がれている様子が浮き彫りになります。)
まあ、当人同士が「やりたくない」と言い張っている以上、商売は成立するわけもなく、それぞれが持っているタマ(案件なり商品)は、それぞれがここで言うところの"同じ人種"の面々との取引に終始完結していくワケです。時には、回り回って同じ需要家なり、大手の問屋に販売されるワケですが、その特殊な流通に"彼ら"は、特別なこだわりを持っていたりするワケです。これは、まさに"文化"であります。それを否定することは、「多様性をなくす」ことと等しくなります。これは、どうしようもありません。
それじゃあ、お前はなにを以って、「多様性を尊重する」などと申すのかと。その答えは、○と△の間に×が介在することで、新たな付加価値が生まれるのではないか、ひいては○の商材○'に×の知見を組み合わせることで、既存の△'に近いものづくりができるのではなかろうかということです。つまりは、固定概念に縛られずに「これがこうなら、こうでもいいじゃん」といった発想の転換を行うことに多様性があるのではないかと考えます。ここに、商売上の強みを生み出していきたいとも考えるワケです。
回りくどくなりましたが、「多様性を前面に押し出す」とは、つまるところ「これはこうじゃなくてもいいんじゃない」と疑問を抱き、実際に「まあ、うまくいくかわからないけど、やってみようか」とストーリー仕立てでやってみることだと思うんです。勝手気ままに、前例を否定していけば、周囲からの理解も得られず、長続きはしません。「周りを巻き込んでいく」ということも、真の意味で持続性のある、多様性のあるビジネスを運用する上での必須項目でありましょう。
商売を「ゼロからイチ」に仕立てあげることは、非常に難しいことだと思います。しかしながら、達成したときのインパクトは、下手したら「10→1,000」より大きいかもしれません。少しずつ実績を積み上げ、時代の先駆者になれるよう尽力して参る所存でおります。
平成の30年、日本は経済では没落したけど、スポーツはマジで強くなった。日本はヨーロッパでいうとスペインやイタリアみたいな国になるんやなぁ・・・。— 田端信太郎 @田端大学塾長である! (@tabbata) October 13, 2019
ただ、昨日のラグビー日本代表対スコットランド戦、非常に引き込まれるものがありました。昨今の停滞したわが国を、腹の底から鼓舞してくれる、そんな一大イベントでした。近日中に行われる決勝リーグも、当然のことながら、見逃せません。我々の活力の源泉としての選手たちの覇気、パワー。己のために、社会のために奮闘する仲間がいると感じることができることは、素晴らしいことであると思います。そして、そのような生き様をまざまざと見せつけられ、自分になにができるのか、何をしなければならないのか、真面目に自問していかねばならぬとも考える次第です。
非鉄金属原料の世界に多様性はあるか
このようなテーゼに対し、我々はどのように回答できるでしょうか。そもそも、この業界に多様性が必要か、ラグビー日本代表のように、日本という旗印のもとに集まった猛者共と比較すべきか、多様性とは一体なんぞや、というアンチテーゼもあろうかと思いますが、筆者としましては、「多様性は必要である」と強く考えています。なぜかと申せば、政府の環境対策しかり、法整備にせよ、既得権益層ならびに為政者のなかに革新的なアイデア、つまり現状を打開するような施策を明確に打ち出すことができる面々が存在するとは考えられないからです。個人的には、「"多様性"とは、当たり前のことを当たり前だと盲目的に信じない人を受け入れる素地である」と定義しています。
我が国のリサイクル、殊に金属の精錬という観点で振り返ると、当地は大陸からの技術伝承があり、当地で産出される鉱物資源をもとに、大輪の花を咲かせた時期がありました。ざっくりとした知識しか持ち合わせていませんが、"南蛮吹"という銅精錬製法が大阪に伝わった時分には、銅の品質向上だけに留まらず、「銅の精錬は大阪で」といった物流上の大きなうねりもあったと聞きます。現在の状況にも相通ずる部分もあろうかと思いますが、抜本的な構造の転換時期にあったものと考えられます。そんなとき、経済活動を活発化させていたのが、住友グループの祖、住友銅吹所であることは、歴史が物語っています。
参考:住友グループ広報委員会
多様性を生むことでなにが起こるか
立場上、様々な業態のスクラップ問屋さんを訪れますが、決まって言われるのは、「○○の連中は〜だ」といった文句です。具体的に申し上げると、「やり方が汚くて、付き合いたくない。ああいう奴らがいるから、この業界がダメになる」といった類の話です。そして、反対に○○の方々は、「△△の奴らは、閉鎖的で差別的だ」と不平不満をつぶやきます。要は、"人種"の違いが商売上の障壁になっているということです。(ここでいう"人種"は、いわゆる国籍上の□□人である必要はありません。それぐらい閉鎖的な方々も実際には存在し、日本のスクラップ業界の置かれていた社会的地位、土地それぞれの"歴史"のようなものが、現在も連綿と受け継がれている様子が浮き彫りになります。)
まあ、当人同士が「やりたくない」と言い張っている以上、商売は成立するわけもなく、それぞれが持っているタマ(案件なり商品)は、それぞれがここで言うところの"同じ人種"の面々との取引に終始完結していくワケです。時には、回り回って同じ需要家なり、大手の問屋に販売されるワケですが、その特殊な流通に"彼ら"は、特別なこだわりを持っていたりするワケです。これは、まさに"文化"であります。それを否定することは、「多様性をなくす」ことと等しくなります。これは、どうしようもありません。
多様性とはマーケティングか
それじゃあ、お前はなにを以って、「多様性を尊重する」などと申すのかと。その答えは、○と△の間に×が介在することで、新たな付加価値が生まれるのではないか、ひいては○の商材○'に×の知見を組み合わせることで、既存の△'に近いものづくりができるのではなかろうかということです。つまりは、固定概念に縛られずに「これがこうなら、こうでもいいじゃん」といった発想の転換を行うことに多様性があるのではないかと考えます。ここに、商売上の強みを生み出していきたいとも考えるワケです。
回りくどくなりましたが、「多様性を前面に押し出す」とは、つまるところ「これはこうじゃなくてもいいんじゃない」と疑問を抱き、実際に「まあ、うまくいくかわからないけど、やってみようか」とストーリー仕立てでやってみることだと思うんです。勝手気ままに、前例を否定していけば、周囲からの理解も得られず、長続きはしません。「周りを巻き込んでいく」ということも、真の意味で持続性のある、多様性のあるビジネスを運用する上での必須項目でありましょう。
商売を「ゼロからイチ」に仕立てあげることは、非常に難しいことだと思います。しかしながら、達成したときのインパクトは、下手したら「10→1,000」より大きいかもしれません。少しずつ実績を積み上げ、時代の先駆者になれるよう尽力して参る所存でおります。