なんか変だなあと、そんな違和感しか感じないわけです
筆者は、2018年5月、『きな臭い感じ』と題し、今後起きるであろう事態についてこんなことを言っていたようです。
オカミから与えられる締め付けやら、資金繰りが難しくなることによる“手詰まり”由来の失敗が積み重なり、満身創痍の身体で野垂れ死ぬケースが増えてくるのではないでしょうか。(=飢えによる淘汰)
周辺の業者さんから聞いた話でしかないですが、中国向け輸出業者さんの中には、大陸からの資金回収に難儀していらっしゃる方々が多く出ているようです。この類の「誰それから聞いた話」ですとか、「抽象的な量を示す"多い"とか"少ない"」といった話が、筆者のような末端まで"業界情報"として出回るとき、なにを考えるべきかというと、おそらく「相当ヤバイ状況に陥っていて、その余波は大きく、末端へも見事に押し寄せる」ということだと思います。
なんか変…
第三者が思う「なんか、この人の近くにいると辛気臭いな」という、ふわっとした直感は、当事者が感じ取る情報以上に信憑性があったりするわけです。なぜかといえば、震源の近くにいる人、利権の中心にいる人ほど、思惑で動く取り巻きに囲まれており、マイナス要素を孕んだ情報を徹底的に隠すわけです。そして、当人もそういった情報に対して、自分の意図と反する内容であればあるほど、徹底的に排除しよう、自己の思惑に近い情報を信じようとするのが、いわゆる権力者の"サガ"であります。某大国の主席にしても、今般のウィルス騒ぎで、「親分、今回ばかりは…」と進言する取り巻きに対して、「オヌシ、なにを申す!」と一刀両断し、事態の早期解決を拒んだ。いつものごとく、強権で押さえつければ、なんとかなる、なんとかしてやるぜ、そのようなスタンスであったのでしょう。結果は、誰しもが知っている最低の事態に陥ったわけですが。
時代は繰り返す
上記の画像は、JX金属が発表している、いわゆる「銅の建値」をグラフにしたものです。グラフは、印象操作する者だと認識しておりますので、下限値は@500に、上限値は@900に設定しております。そこに、"筆者の意図"が介在できるように、"なんだか意味ありげな線"を引きました。筆者は、先物のトレーダーでもなければ、メーカー売りのヘッジのポジションも持っていません。基本的に、リスクの少ない商売ばかりしていますので、相場の上げ下げによる評価損は出にくいのが、現状であります。ただ、相場が下がることによって、市場の流動性が鈍くなるのであれば、商売に直接の影響が出て参ります。そこで、このようなデータをもとに、"ざっくり"今後の相場がどのように向かっていく可能性があるのか、マクロ視点で検証してみよう、そのように思った次第です。
下記、"なんだか意味ありげな線"を描いて思った感想です。
- '21前半まで銅相場はグズグズ
- 相場の定常的な"アゲ"が期待できるのは、@550圏まで下げてから
- "サゲ"基調になるのは、@800圏を突き抜けたら
下記、さらに踏み込んで、「こうなってくれたら、おもしろいのに」的な妄想です。
- 新基軸通貨誕生に伴う、非鉄金属スクラップトレーディング界の秩序崩壊からの再生
- 欧州大手リサイクラーの日本市場進出に伴う、国内企業の統合と淘汰
- 宇宙における資源開発に伴う、レアメタル並びにプレシャスメタル価格の低迷
営業マンはいらない
かつて、北関東の有名な問屋さんの社長に、こう言われました。「これからの時代、クズ屋に営業マンはいらない。値段さえ置いていけば、その値段が勝手に営業してくれるのさ。先物のマーケットにしても、AIが入り込んで、機械的な高速取引が行われているだろ。人間同士で、ああだこうだと駆け引きするのは、非効率的でナンセンスなんだ」と。
言ってることはわかるんですが、全然理解できません。どういうことかというと、金融的な観点からみれば、「機械にやらせておけ」であるべきだということは、腑に落ちるわけです。しかしながら、水モノを扱う商売人的観点からみれば、「人情が介在しない商売は、実業ではない」と言い切ることができるし、「安売り合戦でやっていけるのは、モノが売れている時だけ」だということを日々の活動の中で感じ取っているわけです。
まさに、この瞬間、いわゆる"巨大胃袋"としての消費国にモノが流れていない。それは、バルチック海運指数なんかを見れば、すぐに原料を送るバルク船の需要が薄いことは、明確にわかってしまうわけです。現物取引の場合、モノが流通しなければ、決済が起きない。決済が起きないということは、金融にカネが回らないということも意味します。回すカネがなければ、金融に依存する意味がない。薄利多売戦法が機能しなくなりますよね。
商売は、それに携わる人間全てが、"納得できる"利益を享受できることが大前提であると考えています。限られたパイの中で、ひとりよがりを言っても長続きしないし、虚勢を張ったところで、時流によっては、足元を掬われるだけの"奇行"に過ぎない場合もある。先人は言ったものです。「袖振り合うも多生の縁」であると。日々の出会い、やり取りを大事にし、ふとした瞬間にぽっと湧いてくる商機を、誰より早くモノにしようと努める。失敗するかもしれないし、成功するかもしれません。すべてに因果があるのかもしれないし、そんなものは、そもそも存在すらしないのかもしれません。なにもわかりませんが、どんな小さなことでも、人と人があっておこる化学反応無くしては、商売が成り立たないという原則は、未来永劫変わらないものだと信じています。